書くネタがないのは、ネタを自ら探しにいかないからである。
スポンジ村の山なんとかさんからのおたより。
なんですよね。
何か見たり聞いたり動いたりするとき、目的がないと、ものものは自分から通り過ぎてしまう。
吸収できない。
あ、って気が付くとき。それは新しいものとの発見が多い。
新しいものは、新しいものとして提供してくれる人がいる。
でも、そんな時ばかりではない。
そういう時、自分から何かを探しにいかないと、吸収できるものがないんじゃないかって。
多分、それをするために視点っていうのがあるんじゃないかって。
そんなスポンジです。
さて、今日はこのようなエントリーに出会いました。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130602/1370136126
だから、みんなブログ書こうぜ。 /[デマこいてんじゃねえ!]より。
わりと、ヒトって承認欲求が強いですよね。
よく思います。あーしょうにんよっきゅうしょうにんよっきゅうって。
あーこの人は承認欲求が強いからこう言ってるのかなー。流しとけーみたいな。
ある意味思考停止か・・・オロオロ
承認欲求が強い人って、どう対処すればいいんでしょうね。
ただ構うだけじゃ、こっちが疲弊するし、テメェは他人の迷惑とか考えないのかとかイライラしてくるし。
論理的にズバッと言って、はいおしまい。みたいにすればいいのかしら?
「あーはいはい、えらいですねーすごいですねー」
だと、多分向こうは満たされないですよね。
だからこその論理的発言。
あと、自分だけじゃどうにもならないから他の人の力を借りるとか。
そういう節があったんで、今日のエントリーとして紹介したのです。
ブログを書くことによって、少しでもガス抜きしてもらう。とか。
他人に見てもらってる!コメントがもらえる!いいねがもらえる!
とか、めっちゃ承認欲求が刺激されるような気がするんですよね。
twitterも同じ。自分がツイートしたら、5分ぐらいはTLを眺め続けて、リプライやリツイートがあるか
いちいちチェックする人っていますよね。
それと、最終手段というか、これは他人から言われてもできないことですが。
評価軸を見つめなおす。
さっきのブログ云々ってのは、自分に対する評価によって欲求が満たされる。
他人から下される評価。
評価。
それが根本的に強すぎるのではないかと思うわけなのです。
自分から見て、ここが良かった。それで評価はおしまい。それじゃダメなのかなーと。
もちろん、昇給とかそういうのだと、他人からの評価は絶対に避けられないものですが、
他人から評価されるってことは、ある程度何かを成しているわけで。
成しているってことは、自分でも「よっしゃ」って多少なりは思うはず。
周りの目を気にしすぎてストレス抱えるくらいなら、自分の想いをまっすぐ伝えた方がいいだろうって。
こう考えるのは、私が自己チューなせいかもしれませんが・・・。
でもやっぱり、評価を下すのであれば自分でするのが一番だと思うんですよね。
結局他人は他人。あんまり見てないでしょ、他人なんて。
いくら仲のいい友達だって、心の中まではわかんないんだから。正当な評価だなんてムリムリ。
話が飛躍しておりまするが・・・
ストレス抱える
↓
ストレス発散のために遊ぶ
↓
あー結局何もできなかった
↓
ストレス抱える(ループ)
だと、ぜーんっぜん自分のために何かできないですよね。
私はそんなの嫌だ。
ストレスってそもそも不安だから募ったりするんですよ!
根本原因を改善しないかぎり、そのストレスは雪だるまになるだけ!
ちょっとでも、それを思い出したら、行動。行動。
輝く未来のために。スポンジ。スポンジ。
あ、そうそう。
http://www.kitashirakawa.jp/study.html
勉強とは何か
がすんごく良いエントリーでした。
必読だと思います。 以上!
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